目的・理念

目的・理念

肚から生きる

フォーカスライフは、肚から生きることを目的としています。肚から生きるとは、日常、常に「肚」に意識がある状態で、肚および肚の周りにあるエネルギーを感じ、思考的に物事をジャッジして生きるのではなく、肚から湧き出てくる意図を汲み取り、フィーリングで生きていくことです。

※肚とは、魂の入り口であり、身体的には、丹田(臍から3.4cm下のあたり)を指しています。

 
 

本当の自分を生きる

なぜ、肚から生きるのかといえば、それが本当の自分を生きることになるからです。ほとんどの人は、与えられた役割を生きています。経営者としての自分、管理職としての自分、親としての自分、子供としての自分。そんな様々な役割を生きることで、本当の自分を見失ってしまっています。役割を否定しているのではありません。それは自分の可能性のほんの一部でしてしかないことに氣づく必要があります。

役割を生きるということは、他人の期待を生きるということです。それはつまり自分ではないということです。そして、そのような生き方に対して多くの人が限界、疲弊感を感じ、変わっていきたいと思っています。

そのためのパラダイムシフトを起こすためには、今の自分の限界、囚われに氣づき、そこではない可能性を生きる必要があります。そのためには、自分は、どんな本質・性質があるのか、どんな自分のまだ見ていない可能性があるのかにフォーカスする必要があります。そして本当の自分を思い出していく。すると、自分はどれほど自由で、豊かで、可能性に溢れていて、満ちたりているのかに氣づくことができます。そこから新たな一歩を踏み出していく必要があります。

 
 

魂の意図に氣づく

本当の自分を生き始めると、魂の意図に氣づいていきます。私は、人間とは本来魂の意図を生きるために生まれてきたと思っています。それは、お金持ちになるとか、よいパートナーと出会うとか、人から尊敬されるとか、社会貢献をするとかとは違う次元のことです。これらは、未達の欲求です。そのため、それらを達成しても、次の欲求を探し続けることになります。

何かを願望する→達成するor失敗する→次の願望を設定するの繰り返し

未達の欲求とは、永遠に達成しない欲求です。これはカルマと言い換えることができます。過去(過去生を含む)や未来の囚われから、それを解消するために行動し、仮にそれを手に入れても、二度と失わないように、行動し続けるしかなくなります。なぜなら、それらは、執着そのものだからです。結果、疲弊してしまうのです。

魂の意図は、それとは異なります。それは、自分自身の必要性から湧き上がってくるもので、思考で理解できるとは限りません。そして、それは何より無条件です。つまり、一般的な願望達成のような、○○したから、○○が満たされるなどの交換条件ではないのが特徴であり、“ただそれをする。それをする必要性を感じる”という確信と共にあるだけです。そして、ただ魂の歓びがあふれてくるのです。魂の意図は、○○です。と書けないのは心苦しいのですが、これはフィーリングで“たしかにこれだ”と自ら氣づき、掴んでいくものとなります。

 
 

より良い共創する

本当の自分、自分の本当の本質を生きることは、楽しいです。当然、自分のパフォーマンスは向上します。なぜなら、自分が自分の能力を最大限発揮できるときは、自分がもっとも自然体であるときに他ならないからです。

本来人は、肚から生きることが自然であり、本質的です。その状態から、今関わった方が良い様々な存在たちと必要なことをしていく。個人個人が、自分、そして全体にとって必要なことを行うことで、共創が起こり、波紋が拡がり、影響度が増す。それが結果として、自分自身にとってはもちろんのこと、世の中、地球のためにもなっていく。そんなイメージです。

もちろん、どんな自分であっても、何かしらの影響を与えています。肚から生きなければ影響を与えられないわけではありません。どんな状態でも常に共創は起きています。それならば、よりよい共創を起こしたほうが楽しいと思います。

何より組織とは、個人の集合体です。組織のパフォーマンスを向上させるためには、個人個人のパフォーマンス向上が不可欠であり、そのためには、各々が、本来の自分を生きている必要があると考えています。それぞれが、自分の波紋・影響力を最大限発揮し、共創していく。結果としてそれが組織のためになっていくのです。組織のために肚から生きるのではなく、肚から生きたら、組織のためになっていくのです。

 
 

肚から生きる仲間を増やす

このように、各々が、本来の自分を思い出し、肚から生きる楽しさ、豊かさに氣づいて、それを実践していく。そんな今までの常識とは少し違い、変わった生き方をしたい、やりたい。つまり、肚から生きたいと思ってもらえる仲間を増やすこと。それが、フォーカスライフの目的であり、やりたいことです。

 
 

前提となる基本的な考え方

 
 

思考的な生き方の限界

何かを成し遂げたり、成功したりするためには、思考的である必要があります。目標を掲げ、それに向かって努力し、うまくいけば次の目標を掲げ、失敗すれば、なぜ失敗したのかを検証する。つまり、自分たちのよりよい未来を思い描き、過去を検証し、その結果、今やるべき最適解を模索する。何も間違っていないように思います。

たしかに、場当たり的に行動するよりも、よほど効率的だし、結果もでる。事実私たちは、ずっとこのように生きてきました。しかしそれは、物事がシンプルならば(例えば、テストでよい点数を取るとか)、たしかによく機能すると思います。しかし、現実は、変動要素が多くて、検証しようにも原因が分からないこともあるし、目標を掲げようにも、様々な人の思惑が介在して、本当に納得した目標になっていない可能性もあります。

このように、私たちは、成果を出すためには思考的である必要があると思い込んでいますが、実際には、どのように結果を出したらいいのか分からないのが現実ではないでしょうか。

 
 

実際には、感情が伴う

また、思考的になると、あるべき論と現実論の二軸になりやすいです。頭で考えたら、こうしたほうがいいとか、こうあるべきと思うのですが、実際には、そのようなことはできないというは多いのではないでしょうか。

なぜなら、思考的な考えは、直線的なエネルギーで、真っすぐ目標に一直線に考えるのですが、実際には、感情の起伏や体調、周りからの影響が伴うため、浮き沈みがある波打つエネルギーで活動するので、考えた通りには行動できないものです。

 
 

不安・恐怖が物事を歪める

さらに、私たちの行動原理の1つにリスク回避があります。これは、“未来の不安や恐怖を排除するためには何をしたらいいのか“という思考パターンです。これも、未知数の要素が多い未来を実際には予測するのは困難にも関わらず、予測したほうが安心するという思い込みや、新しいことにチャレンジして失敗したら責任を取らされるからという理由で、以前と同じパターンを繰り返そうとする心理が働いたいてしまいます。そのため、本当の最適解を選択していないこともあると思います。

 
 

無自覚な支配/コントロールを手放す

自覚的、あるいは、無自覚的に不安・恐怖を感じたとき、その場をコントロールしようとします。つまり、相手を自分の意のままに動かそうとしたり、相手から動かされたりします。これは、大なり小なり相手を支配していること、相手から支配されていることに他なりません。そして、それは、肚から生きる生き方とは真逆となります。まさにカルマそのものです。また、その行為に、善意と悪意はあまり関係ありません。相手にとって良かれと思ってやったことでも、たとえ相手がコントロールされることを望んでいたとしてもです。それは、旧パラダイムそのもの、つまり過去延々と繰り返してきたループそのものとなります。

 
 

パラダイムシフトを起こす

もはや未来の予測はできないにも関わらず、それが当たり前だとの思い込みから、過去からの延長線上の未来を描き、それを目指すのではなく、自分の、あるいは、自分の組織のフィーリング・可能性を確信し、一歩踏み出していく。それはまさに今まで経験したことのない未知を歩むことですが、だからこそ楽しい。そこには歓びがあります。そんなパラダイムシフトを起こして、新しい自分・新しい組織を発見しませんか。
 
 

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